「パリピ孔明」短歌行。姜維と趙雲。面白さ重大要素の詩や武将を解説!

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前回のパリピ孔明の記事に引き続き、パリピ孔明の面白さのひとつである、孔明が駆使しする兵法や、オーナーとの故事成語のやり取りにて出てきた兵法や故事成語はどのようなものなのか?
本記事では第6話で出てきた「短歌行」「曹操」「姜維」「趙雲」について解説します。

【短歌行】 第6話「孔明’s フリースタイル」より

曹操が人材を欲する気持ちを詠ったとされる「短歌行」とはどんな内容なのでしょうか?曹操とはどんな人物なのでしょうか?

曹操とは?

〇名前・・・曹操(そう そう)

〇字(あざな)・・・孟徳(もうとく)

〇出身地・・・豫州沛国(現在の安徽省、河南省、江蘇省、山東省に間あたり)

〇生年・・・155年

〇没年・・・220年(66歳)

後漢の役人の子として生まれ、若いころから優秀さが評価され、20歳の頃に後漢の役人となり出世していった。
30代の頃、黄巾の乱や董卓の暴政等の激動の時代において、時流を読み頭角を現していった。
その後、40代半ばに後漢の丞相(最高職)として中国統一を目前とするが、赤壁の戦いに敗れた。
62歳で魏王の位を与えられ、後漢の中に魏王国を建国した。
曹操の死後、曹操の三男の曹丕(そう ひ)が帝から皇位を譲らせ魏を建国した。

短歌行とは?

短歌行がどのような詩なのか紹介します。

對酒當歌 「酒に對(たい)して當(まさ)に歌ふべし」
人生幾何 「人生 幾何(いくばく)ぞ」
譬如朝露 「譬(たと)へば朝露の如し」
去日苦多 「去る日は苦(はなた)だ多し」
慨當以慷 「慨(がい)して當(まさ)に以って慷(こう)すべし」
幽思難忘 「幽思(ゆうし)忘れ難し」
何以解憂 「何を以ってか憂ひを解かむ」
惟有杜康 「惟(た)だ杜康(とこう)有るのみ」

青青子衿 「青青(せいせい)たる子(し)が衿(えり)」
悠悠我心 「悠悠(ゆうゆう)たる我が心」
但爲君故 「但(た)だ君が爲(ため)故(ゆえ)に」
沈吟至今 「沈吟(ちんぎん)して今に至る」
呦呦鹿鳴 「呦呦(ユウユウ)と鹿は鳴き」
食野之苹 「野の苹(よもぎ)を食ふ」
我有嘉賓 「我に嘉賓(かひん)有らば」
鼓瑟吹笙 「瑟(しつ)を鼓(こ)し笙(しょう)を吹かん」

明明如月 「明明(めいめい)たること月の如きも」
何時可掇 「何れの時か掇(と)る可(べ)けんや」
憂從中來 「憂ひは中より來(き)たる」
不可斷絶 「斷絶(だんぜつ)すべからず」
越陌度阡 「陌(はく)を越へ阡(せん)を度(わた)り」
枉用相存 「枉(ま)げて用って相(あい)存(と)はば」
契闊談讌 「契闊(けいかつ)談讌(だんえん)し」
心念舊恩 「心に舊恩(きゅうおん)を念(おも)はむ」

月明星稀 「月明らかに星稀に」
烏鵲南飛 「烏鵲(うじゃく)南に飛ぶ」
繞樹三匝 「樹(じゅ)を繞(めぐ)ること三匝(さんそう)」
何枝可依 「何れの枝にか依るべき」
山不厭高 「山は高きを厭(いと)はず」
海不厭深 「海は深きを厭(いと)はず」
周公吐哺 「周公は哺(ほ)を吐きて」
天下歸心 「天下心を歸(き)せり」

ざっくり訳すると

酒を飲んだら歌おう。人生は儚く日々は過ぎる。
嘆き憤っても気分は晴れない。ただ酒を飲もう。

若者よ、私はずっと君を待っていた。
鹿が鳴き交わしよもぎを食べるように、大切な客人へ琴と笛を鳴らそう。

月は輝いているが手に入れたくても届かず。この悩みは尽きない。
多くの道を越え、わざわざ会いに来てくれたなら久々に語らおう。

月が輝く夜にカササギがどの枝に留まるか飛び回っている。
山は高く、海は深い。周公のように真摯に人材を求たからこそ、天下が心をよせたのだ。

というような意味です。

周公とは文王の次男の周公旦のことを指します。
文王はについては下のリンクのページで解説しています。

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【姜維と趙雲】 第6話「孔明’s フリースタイル」

孔明とKABEのラップバトルを見た小林オーナーが2人の様子を例えた「姜維」と「趙雲」。
どんな武将なのでしょう?

姜維とは?

〇名前・・・姜維(きょう い)

〇字(あざな)・・・伯約(はくやく)

〇出身地・・・涼州天水郡(現在の甘粛省天水市あたり)

〇生年・・・202年

〇没年・・・264年(63歳)

元は天水の豪族の出で自身は魏の役人であった。
姜維が27歳の時に、諸葛孔明が軍事行動中(北伐)にて接近してきた。その際に味方の馬遵が姜維の裏切りを疑い姜維を追放。姜維は行き場をなくし諸葛孔明に降伏しました。(演義では孔明の離間の計を仕掛けたことによるものとして描かれている)
この北伐の際に、姜維と趙雲の一騎打ちが行われたと演義では描かれています。

趙雲とは?

〇名前・・・趙雲(ちょう うん)

〇字(あざな)・・・子龍(しりゅう)

〇出身地・・・冀州常山郡(現在の河北省石家荘市あたり)

〇生年・・・不明

〇没年・・・229年(63歳)

〇身長・・・約184cm

元は袁紹の配下で、その後は公孫瓚の配下であった。
劉備公孫瓚のもとに寄せていた際に、趙雲と劉備が親しくなり、その後に劉備に仕えることとなった。
208年の長坂の戦いの際に、劉備の子の劉禅(後の蜀の2代皇帝)とその母を助け出し、牙門将軍となる。
演義にて五虎大将軍として描かれた「関羽」「張飛」「黄忠」「馬超」「趙雲」であるが、正史では「関羽」「張飛」「黄忠」「馬超」が前後左右の将軍になったが、その際に「趙雲」の役職は据え置かれていた。
この5名の中で没年が一番遅く、劉禅が皇帝になった後も仕えていた(生きていた)のは趙雲のみである。

 

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