前回のパリピ孔明の記事に引き続き、パリピ孔明の面白さのひとつである、孔明が駆使しする兵法や、オーナーとの故事成語のやり取りにて出てきた兵法や故事成語はどのようなものなのか?
本記事では第2話と3話で出てきた「石兵八陣」と「兵法三十六計」について解説します。
【石兵八陣】 第2話「孔明、計略を使う」より
人気アーティストの策により、あるイベントの同じ時間にライブをぶつけられた英子。
オーディエンスを奪われた彼女を救うための孔明の必勝の一手「石兵八陣」。
三国志ではどんな策だったのでしょうか?
【石兵八陣】とは?
222年、夷陵の戦いでの撤退時に諸葛亮がもちいたとされる策。
樊城の戦い(219年)にて呉の呂蒙に捕らえられ処刑された関羽の仇を討つため呉攻めを決意した劉備。
諸葛亮含め多くの臣下が反対するも劉備自ら大軍を率い攻め入った。
この夷陵の戦いにて、呉軍を率いていた陸遜の火攻めによる反撃に総崩れになり、敗走する劉備を救うため諸葛亮がもちいたのが石兵八陣である。
石兵八陣は「巨石をもちいた陣」「石の塔や人型の石」「内部には嵐が起きている」などの描かれ方をしている。「劉備を追撃する陸遜がこの陣に踏み込んだところ出ることができなくなった。」もしくは、「異様な巨石の陣を見た陸遜が追撃を諦め撤退した」など様々に描かれる。
この策により劉備は無事に白帝城に逃げ込むことができた。
なお、石兵八陣は演義に書かれたフィクションである。
陸遜とは?
〇名前・・・陸遜(りく そん)
〇字(あざな)・・・伯言(はくげん)
〇出身地・・・揚州呉郡(現在の江蘇省と浙江省にまたがる地域)
〇生年・・・183年
〇没年・・・245年(63歳)
出自は呉の有力豪族の傍系。樊城の戦いにて呂蒙とともに関羽と戦っている。
244年には呉の丞相になるなど重用されていた。
しかし、呉の皇帝である孫権の後継者問題について陸遜が孫権を諫めたことをきっかけの1つとして対立。他の家臣から陸遜はいくつもの罪状について告発された。
この後継者問題において多くの重要人物に処分がくださることとなった。これらのことに陸遜は憤慨し亡くなった(憤死した)といわれる。
ちなみに、陸遜に対する告発は、陸遜の子により全ての疑念が晴らされることとなる。
【兵法三十六計 第七の計 無中生有】 第3話「孔明、進むべき道を知る」より
フェスでの英子の初めての野外ライブ。隣のステージでは人気バンドのライブが。
孔明は彼らの弱点を見抜き「兵法三十六計 第七の計 無中生有」にて英子のステージへオーディエンスを集める!兵法三十六計とは何なのか?
【兵法三十六計】とは?
三国志の時代頃から200年ほど後の時代の檀道済(たん どうせい)の記した兵法書。
6つの大分類の下にそれぞれ6つの計、あわせて36からなる。
〇勝戦計
「瞞天過海」「囲魏救趙」「借刀殺人」「以逸待労」「趁火打劫」「声東撃西」
〇敵戦計
「無中生有」「暗渡陳倉」「隔岸観火」「笑裏蔵刀」「李代桃僵」「順手牽羊」
〇攻戦計
「打草驚蛇」「借屍還魂」「調虎離山」「欲擒姑縦」「抛磚引玉」「擒賊擒王」
〇混戦計
「釜底抽薪」「混水摸魚」「金蝉脱殻」「関門捉賊」「遠交近攻」「仮道伐虢」
〇併戦計
「偸梁換柱」「指桑罵槐」「仮痴不癲」「上屋抽梯」「樹上開花」「反客為主」
〇敗戦計
「美人計」「空城計」「反間計」「苦肉計」「連環計」「走為上」
無中生有は敵戦計の中の1つ。
すなわち無きものを有るように見せるということです。
パリピ孔明 第3話 孔明のセリフより
他にもパリピ孔明の記事がありますので、興味のある方はこちらをどうぞ!
最後までお読みいただきありがとうございます。
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